お相撲さんと一緒に♪
さて、先日の日記で古い写真を引っ張り出していた時に・・・
他にも面白い思い出の写真が見つかったので(^^)
私が子供の頃、我が家ではすごい相撲ブームでした。
当時は、輪島・北の湖時代だったかしら。
祖父も、両親も、みんなで一生懸命にテレビにかじりついてました。
この頃、郷土出身力士がいたんです。
元関脇・鷲羽山佳員 関。(現・出羽海理事)
ちなみに、地元の人ならみんな知ってたことですが、鷲羽山(わしゅうやま)関の四股名は、倉敷市の瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地でもある鷲羽山(わしゅうざん)から取ったものです。
私もりみ姉も、彼と同じ中学校出身だし。
で、親が地元の付き合いで、鷲羽山関の後援会に入ってました。
その関係で、岡山での地方巡業の時に、同じ出羽の海部屋の力士を家に泊めてあげてほしい・・との要請が。
どうやら、当時、地方巡業の時はホテルとかではなく、その地方のいろんな関係者の家に泊まることがほとんどだったらしいです。
(今はどうか知らないけど)
これが昭和52年のこと。
そりゃあもう、大騒ぎ(笑)
で、うちに来ることになったのが・・・
元小結・大錦一徹 関。( 現・年寄山科)
あまりメジャーではなかったかもしれませんが、昭和28年生まれで、当時は〈花のニッパチ組〉と騒がれたものです。
付き人2人を連れて、やってきました♪
その時の写真でーす。
奥にいるのが大錦関。その後ろの赤と黒のチェックシャツがりみたん(高1)。
手前の赤のチェックがワタシ(小6)。
右手前2人が付き人さんね。
親戚や、ご近所さんもウワサを聞きつけて集まってきてたわ。
夕飯のメニューはスキヤキだったかな。
普段は食べないような上等肉を、何キロ買ったっけ・・・・・
オカワリをたのまれるワタシ。
翌朝は、うちの玄関前で、みんなでハイ・チーズ。
私と姉が制服なのに、両親は普段着・・・平日だったのか、休日だったのか。
その後は、大阪場所などに行った時に出羽の海部屋を訪ねて、大錦関を呼んでもらって、何度か部屋の本場のちゃんこ鍋をごちそうになったものです。
めーーーーーっちゃ、美味しいのです、これがヾ(≧∪≦*)ノ〃
親も話が来た時は躊躇したようでしたが、結局はいい思い出になりました♪